奄美方言音声データベース

方言五十音別索引:ヤ

語彙数:171

1.ヤナゲぇズぃラ(名詞)嫌な奴。《嫌な顔》の意。喧嘩、叱責などの罵りに言う。子どもどうしはよく用いるが、大人どうしが面と向かってこれを使うのは余程の大喧嘩の場合である。'jumuzraとほぼその程度が同じ。'janage-は、'janagesari《悪い、汚い》の語幹。(類)'jumuzra
2.ヤワラサリ(形容詞)〈1〉柔らかい。[下巻]を見よ。(対)xohasari〈2〉体が弱い。ちょっと風に当たっても風邪をひいたり、食べすぎるとすぐ腹をこわす弱さ。(対)cjuusari(類)zjanasari.binasari〈3〉'ja'warasa naruriの形で(痛み、苦しみが)弱くなる。弱まる。
3.ヤミ(名詞)〈1〉病気。(類)bjooki〈2〉痛み(疾患による)。'waa'jami《腹痛》、jami《手の痛み》、hagi'jami《足の痛み》、mn'jami《胃痛》などという。
4.ヤモレルリ(動詞)〈1〉長患いする。病気がはかばかしく治らない。(類)mucixesuri〈2〉(天気が)悪くなる。
5.ヤかマシャリ(形容詞)(病気が)ひどく重い。重体だ。cjuusari《重い》の進んだ状態。
6.ヤちュ(名詞)悪性のできもの。膿をもった部分の色によってkuru'jaju、siru'jajuなどと呼ぶ。前者は皮膚の色が黒ずんでいて、siru'jajuより重い。tcgasaも'jajuの一種である。
7.ヤムリ(動詞)痛む(手足、腹、頭、歯など体の1部が。傷、心などが)。
8.ヤくり(動詞)やけどをする(火などで)。×湯気、油、湯などでやけどをするのは(類)'jogosuri
9.ヤマかゼン オうり(連語)ハブにかまれる。ハブにかまれた、と直接表現するのはタブーで、'jamaxazen o'uriとか、habuaariとかいった。
10.ヤちュ(名詞)灸。病気のとき医者にかかる人は少なく、灸をすえたりまじないをしたり、また上層の家では漢方薬を飲んだりした。灸は'jakisagruriといって上部から下部に向かってすえる。下部から上部へすえるのは、'jakiagといって灸の効果がないといわれた。また女は右側から、男は左側から先にすえるというきまりがあった。〜'jaxuriで《灸をすえる》
11.ヤーギリギン(名詞)ふだん着。《家で着る着物》の意。(類)'omaNgiN、hiiziNgiN
12.ヤーたチギン(名詞)婚礼の衣裳。古くは単衣の7襲ねを用いた(故大山スエ氏談)というが、明治28年に嫁入りをした長田の母の場合は、新調のよそ行きの着物に、黒紋付の羽織を着て、頭にsazi(頭を覆う布)をかぶる、という姿で、大分変わってきている。上層でも上記のようであるから、まして一般は簡素なものであった。
13.ヤマとこンネ(名詞)棒衽。明治半ば以後本土から入って来たもので、大島本来のかぎ衽と区別して、この名がある。裏返しが利くのでよい。(類)xoNne
14.ヤマとガマチ(名詞)髪形の名。日本髪。島田、丸髷、桃割れ、銀杏返しなど、日本髪と言われる髪形の総称。一般の女はほとんどonosubiに結い、日本髪に結うのは花柳界の女くらいであったのが、大正半ばになると、上層の女で名瀬のような都市部で婚礼をする人は、島田に結うようになって来た。(類)xamaci'ju'I
15.ヤマとっイェー(名詞)本土のアイ。四国で主に産したのでシコクアイの名がある。リュウキュウアイとは属する科も異なる。茎や葉に水分を与えて、むしろに包みこんで発酵させる。このように藍分の採り方も異なる。リュウキュウアイと比べると赤みがかっている。(類)sukumoa'I、jee大島でも少しは作っていた。
16.ヤマアい(名詞)ヤマアイ。これは浸し染めではなく、摺り染めに使われるものである。古代の本土では、一般には使用が禁止されていて、御即位の大礼の小忌衣の藍摺りやその他の儀式の青摺りの衣には、必ず用いられたという。[上村六郎『民族と染色文化』参照。]現代の本土にはほとんど無いというが、奄美には第一の高山湯湾岳にあるとのことである。[大野隼夫氏談](類)je(e)、'jamaoje(e)
17.ヤマとっイェーズムぃ(名詞)シコクアイ染め。大島紬が産業化され、藍染めを取り入れ出した昭和初年ごろから、シコクアイを用いるようになった。また、藍のみでは褪色のおそれがあるので、これにドイツのインジゴを混ぜて染めるようになった。[昭和35年染色指導所の丸山武満氏に聞く。](類)'jamaoje(e)、je(e)zum
18.ヤマとっイェーたてぃ(名詞)シコクアイの藍だて。リュウキュウアイの場合と方法が違う。現在大島の染色指導所でとられている方法は次のとおりである。藍がめ3本だてには、すくもあい1俵(15貫)、石灰1.2升〜1.5升、苛性ソーダ約1貫、メリケン粉約8合、水がかめ8分目、以上のものを火壺に入れ30度から40度の温度にして日に3回棒でかき廻す。2、3日経つと発酵して液面に紺色の泡が出来る。更に数日経過すると、濃青色になって、かき廻すと藍の華(泡)が、かめの口に盛り上がる。このとき染色する。[丸山武満氏の教示による。]
19.ヤレウリきず織り。筬の羽を飛ばしたり((類)hagusi)、2本経糸が並ぶように筬に通してしまったり((類)'uunarabi)、糸が切れているままで織ったりすると、きず織りになる。紬の製品としては検査で不合格になる。ただこのことを逆に織りの技巧として活かして、たとえばhagusiのやり方でストールや帯を織ることも出来る。
20.ヤー ヌ ツぃケぇヨ(連語)自家製品(自家消費用の)。砂糖、味噌、塩、野菜などの食料品、薪などにいう。×衣服は(類)kiri'jo(対)urimuN
21.ヤマとちャ(名詞)日本茶。いろいろ種類があるわけではなく、上等のものをzjooja、並のものはただjaといっていた。戦時中大和村名音で共同栽培し、戦後本土と通交のなかった間に、大和村福元で、日本茶、紅茶の栽培を始めた。福元の茶は、日本で1番早く採れる茶であるという。現今は大部分を本土から移入している。(類)Cfja
22.ヤセ(名詞)野菜。根菜、果菜、青菜、また山野に自生する竹の子、セリ、その他の総称。haNs《サツマイモ》は重要な主食品なのでhaNmeと呼んで'jaseと言わない。穀類も'jaseには入らず、それぞれの名前で呼ぶだけで、穀類というようなまとめた呼び方はない。大島は霜がおりず土質がかたく、根菜には向かない。ダイコンが秋ごろはなく、大正7年ごろの秋、病気でダイコンを欲しがったとき、名瀬から本土産のすの入ったダイコンを取り寄せて食べた思い出がある。青菜もかたい。キュウリなど夏野菜のできはよい。現今、大島紬の産業が優勢となり農業がすたれ、多くの人が本土より移入された野菜を食べていることを知って隔世の感がある。
23.ヤキダハナ(名詞)竹の子料理の一種。xosaN《ホテイチク》を皮つきのままいろりの熱灰の中に埋めて蒸し焼きにする。皮をむき、竹の子を裂いて、3杯酢にして食べる。竹の子料理の中で一番うまい。
24.ヤくり(動詞)焼く(餅、肉、魚など食物を。家、紙、着物、山などを。×日光で肌を。×灰にまでしてしまうのは(類)meesuri)
25.ヤーたチヨウぇ ヌジン(連語)婚礼の祝宴の膳組み。旧家の婚礼は盛大なものであったから、祝宴の料理も豊富であった。長田の父母の婚礼のときの料理を古老が語り草にしていた。明治20年に行われた長田俊雄と和直千代の婚礼の献立て書きの写しが、和家に保存されているので、その全部をここに掲げる。献立てばかりでなく、部屋の飾りつけや給仕のし方などについて故実を伝えるもので、また手伝いの役割りも記入してあることから、たくさんの人を使い動かして祝宴が進行される様子がよく伺われる。(縦書きのものを横書きにし、改行せず続け、改行部分は」を以て示した。文字づかいなどなるべく原文のままに写し、誤り易いところには注記する。ところどころ大島のことばが混っていて興味深い。ママという注意書き以外のかたかなのふりがなは原文にあったものだが、写本を作ったときつけられたものか。)献立 一.床 立松桃枝ヲ副フベシ」掛物二幅対 一.丸窓置物牛 中央小口ニ片指」床柱隠短尺、及掛花瓶、梅桃ノ間 一.小座横物 盆石 一.御茶」 切足八寸 一.御菓子 煙草盆伹御客ノ右ノ脇へ置クベシ」スマシ 一.御吸物、大ひき昆布 餅 里芋 豆生(注 もやしのこと)」銚子上ヶ」指身(注刺身)副付 鯛ノ切身、茎付生姜菊人参」掛盃 銚子上ヶ」銚子御酌両人 一.濱焼 鯛下敷松葉 一.盛塩 壽留女、昆布 杉原紙」三房(注 三宝)三ッ重」銚子貮對」盃洗 塵庫」伹酬盃ノ際賓主共右ノ方ヘ据置ベシ」伹濱焼以下第一吸物指(注 差)出シ次ニ指出スヘシ」スマシ 一.御吸物 魚ノ切身、柚、右、終テ」主客酬盃 御酌両人」挾肴」盃三ツ重、銚子 一.鉢物 釣鯛、三島海台(注 海苔)、白毛大根、人参混渇 一.長硯蓋 鶏卵粕平焼魚ノ切小串焼、鮎のぬろ付」巻皮魚、赤こふしゃ、結人参、刻昆布」此處ニテ酬盃ノ間ハ外品ハ指出ザル様心得ベシ」味噌 一.御吸物 鯛ノ切身、花豆腐、椎茸、春菊」示後ハ鉢物、及長硯蓋、鍋物、丼等都テ指出スベシ」一.なん子玉二組 一.盃種々」一.からく 或は早助ヶ」 右指出スベシ」以下ハ諸配刻具ヲ記スノミ指出スノ前後ニ関セズ」然しトモ吸物ハ記載順ニ差出スベシ」一.大平 鴨、かまほこ、巻麩、蕪」椎茸、車海老、牛房、山芋、三ツ葉」味噌」一.春寒 豚、蕪、人参、蒜」一.御吸物 鯨、牛房、三ツ葉」酢下地」一.御吸物 魚小切、卸大根」一.長硯蓋」内壱面」かまぼこ 豚ノ小串焼、貝、砂糖〓牛房」蕪酢付 色付こふしや、結び人参」壱面」鶏小串焼、椎茸、こが焼、豆腐粕平焼」菊の葉つきあげ、落地生、赤こふしゃ」春菊」壱面」菊切玉子、牛皮、乾魚、蒟蒻」マルボロ、ハナカステラ」鉢」一.鍋之物 鯨、せんもと、からく」一.鉢之物 完豚の門」醤油」一.鍋之物 鶏、赤こふしゃ、大根、椎茸、人参」牛房、春菊」味噌」一.鍋之物 豚の糸切、白豆腐、里芋、人参」白茎菜」一.鍋之物 豚麺糸切、ねぎ」一丼物 拾貮」内壱ツトコロテン 辛 酢味噌 結ビセンモト壱ツ 鶏ノイリ骨 キザミ生姜」壱ツ 豚ノイリアゲ 壱ツ センジ醤油 湯豆腐、ネギ、ミカン1皮」壱ツ 蛸 サクラ ニリ」壱ツ 里芋 デンガク」壱ツ 魚ノ イリホネ」壱ツ 春菊 ヒタシモノ」壱ツ 豆生」壱ツ 塩辛」壱ツ 三盃ツケ」壱ツ 卸シ大根」膳部」皿 ナマス」シラガ大根」三島海苔」紫藻海苔」莖付生姜」ミカン」小皿 味噌漬」タカナツケ」汁 鶏」白豆腐」大根」椎茸」糸目梅干」飯」一.薄茶」宮仕(注 給仕)、三献ノ内 眞 太郎」 太佐次郎」大江久一」住 三吉」小皿方森 順序、盛 實豊、太 重次郎」座配 永田義英」太 眞幹」城稲昌喜」祝歌 森吉恕、泉 吉松」赤井植川 思政ニ志」三味線 政 政厚」酌取」千秋萬歳」明治二十年十二月二十六日吉辰直千代婚禮之際執行スル者也」昭和二年九月一日旧八月六日戊戌寫
26.ヤチ(名詞)高倉の柱と柱の脚部を貫き組む横材。角材を用いる。先端1.5尺ばかりを外側に突き出し、くさびで固定する。入口になるところ(棟木と平行している前面)とその後ろ側、すなわち横(間口)の2本は、脚部の上方に貫き、縦(奥行)の2本を脚部の下寄りに貫く。
27.ヤドリ(名詞)小屋。4隅の柱(下部を地面に埋めてwbarja《植え柱》とする)には股木を用い、上部の股には横木を掛け渡しカズラなどで縛る。屋根は棟木からかやでふき下ろす。ぐるりをかや、わらなどで囲んで壁とし、1方に出入口をつける。usiN'jadoriのように壁を作らない場合もある。用途によって大きさ、構造など多少の違いがあるが、およそ次のようなものがある。(1)農家で敷地内の隅に作り薪、臼、農具などを入れておく、sas'ja《物置》の代わりとする。(2)ウシを飼う。usiN'jadoriという。(×ウマ小屋は(類)aN'ja.'jadoriより上等である。ブタ小屋は(類)waNs.もっと粗末である。イヌ、ネコ、ニワトリには特定のねぐらはない。)(3)山での製糖作業のためのsaa'jadori.これには、砂糖絞り機を据えてある側にも出入口がついている。内部は砂糖を煮るかまどの場所の他に人が寝泊りできるほどの広さである。(4)製塩のため浜に作るmasju'jadori.塩をたくためのかまどがある。(5)舟を入れるための小屋、c'jaも一種の'jadoriである。(×《炭焼小屋》という特定のものはない。炭焼きは山の斜面を利用して行っていた。)なお笠利地方で見かけた'jadoriは、珊瑚礁を積んで壁としていた。これは、この地方が、木、かやに乏しいためであろうと思われる。(類)zide'ja、xubu'jaQkwa、 wbarja'jadori
28.ヤレヤ(名詞)あばらや。自分の家を謙遜してもいう。
29.ヤーヤシキ(名詞)家屋敷。家屋とその敷地。広さ、用材その他について、明治以前は身分によるきまりがあった。奄美の規定は判然としないが、『沖縄歴史』によると琉球では1737年家と敷地の制限令が公付された。すなわち、総地頭(上流士族)の屋敷は15、6間角、脇地頭は12、3間角と定められ、一室の広さは貴族(王子、按司)は22.5畳以下、脇地頭以上家格ある者は16畳以下とされた。用材はイヌマキ、カシワ等は使用を禁止されたという。[比嘉春潮氏による。]奄美はもと琉球に属していた関係上薩摩藩に代わってもなお琉球制度を踏襲したことが多いので、上述に準じているかと思われる。しかし代官等の接待に事欠かぬようするためか、目こぼしがあったらしく、太家などは上記の規定よりずっと大きいものであった。敷地は方形に近い長方形が多い。
30.ヤシキ(名詞)家の敷地。方形に近い長方形がふつう。敷地内には家屋(上層の家では3、4棟から成る。)庭、aariとよばれる小規模な畑、などがある。2棟以上から成る家屋は、各棟を主屋からだんだんに後方にずらせて建てる。その間はxa'jo'iという渡り廊下でつなぐ。'jasikiの広さその他については、以前は規定があったらしい。(類)'jaa'jasiki

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